小学校4年生が見たモンスター
コラムという感じではないけど、小学校4年生のときの思い出について語ってみる。
担任の先生が変わった人だった。
これが初の担任となる、新任の女性だった。
よく授業中に自分の思い出を語っては泣いていた。
音楽の授業でピアノを弾きながら、発表会で自分が弾くはずだった曲を、当日になってもっとピアノのうまい人に代わられた、一生懸命、練習したのに、とか。
それで、生徒にその曲を弾いて聴かせていた。
教育実習でクラスのリーダーの子を注意したばかりに、クラスメート全員から目の仇にされた、それでも私は間違ったことをしたとは思ってない、とか。
どうやって録音したのか、そのときの様子をテープレコーダーで生徒に聞かせてさ。
あんな状況で先生が泣いていても、生徒はそりゃぽかーんだよ。
生徒は持ちものには全て名前を書くことを義務づけ、書いていない人には厳しかった。
厳しすぎた。
名前の書いていない持ちものが落ちていても、本人の所有物とは認めず、拾った人が自分のものにしていいというルールを作った。
おかげで、授業中に落としてしまった消しゴムを、目の前の人が拾って自分のものにするという、ひどい状況になってしまった。
オレもあのときは、色鉛筆の1本1本にまで全て名前を書いたっけ。
これには生徒も父兄もカンカンで、うちのおかんがクレームの電話を投げた。
おかん「落しものに名前を書いていなかったら、拾った人のものにしていると聞いたのですが」
先生「そうしています」
おかん「普通は、落しものは持ち主に返すべきではないのですか?」
先生「持ちものに名前を書くのは当然です」
おかん「では、ハンカチやティッシュにまで名前を書けというのですか?」
先生「書くんじゃないですか」
このとき、すでに先生は半ギレだった様子。
おかんも頭にきて、とっておきに控えていた言葉を放った。
おかん「では、お金にも名前を書けというのですか? お金に名前は書けないでしょう。その上、拾ったお金を自分のものにするのは泥棒ですよ」
先生「……」
おかんが勝った。
これを言われちゃ、さすがの先生も何も言えんでしょう。
翌日からクラスには落しもの箱が設置され、クラスがやや平和になった。
先生の奇行っぷりが父兄の間で有名になり、授業参観には他のクラスの保護者も観に来て、うちのクラスだけギャラリーが多かった。
そして、極度の緊張っぷりが痛々しい先生。
落しものの一件がよほど堪えたのか、いつしか先生はうちのおかんを怖がるようになった。
2学期の始業式の翌日、オレは左足の骨にひびが2本入るケガをした。
昼休みにクラスメートとどろけいをしていて、逃げ回っているときに滑り台から飛び降り、下にいた人と激突して危ない落ち方をしてしまったのだった。
突然、上から人が降ってきてぶつかってしまった生徒は、さぞびっくりしただろう。
現代でいうところの、飛び降り自殺の巻き込みみたいな。
悪いことをした。
そのため、翌日から登下校はおかんに車で送ってもらった。
と、ここまではよいのだが。
ここで先生がとった行動がちょっと。
おかんはいつも下校時刻のちょっと前に、校舎の前で待っていた。
当時、うちの小学校は生徒が溢れてしまい、校舎に収まりきれなかったため、プレハブ校舎を設立し、その年は自分たち4年生のクラスになっていた。
プレハブ校舎は平屋で、外からは見通しのいい造りになっていたため、クラスからうちのおかんが立っているのが見えるのよね。
先生、うちのおかんを見つけるといつも大慌てで、クラスの帰りの会の途中でもオレだけ先に帰らされた。
あの頃は特に何も考えずに帰っていたが、今思うとあれってよくないよなぁ。
あぁいう特別扱いって他の生徒からはよく思われないでしょ。
最悪の場合、アイツだけずるいぞって、嫌がらせやいじめの対象にもなりかねないんじゃ。
ふー、当時は特にそんなこともなくてよかった。
そんな先生、今では何をしているんだろうか。
小学校を卒業してからだいぶたち、おかんがたまたま道端で会ったそうだ。
交通事故を起こしたそうで、首にコルセットをしていたらしい。
次に行った小学校でも問題を起こし、教職は辞めたようだ。
今の世じゃモンスターペアレンツなんて言葉があるが、ありゃモンスターティーチャーだったなぁと思う。
いや、先生も変わっていたとはいえ、あの人なりに真剣に、真面目にやっていたんだけどね。