キャパオーバーの仕事考
社会人になって3年目。
まだまだ若輩者の自分だが、仕事を通じて感じたことをつらつらと。
まず、部や課やチームといったものが社員に割り振る業務というのは、人を見てから決めるのではなく、やるべき業務が先にあるケースがほとんどであるというのを実感する。
つまり、
「これだけの人員なら、この業務ができるだろう」という割り振り方ではなく、
「これだけの業務があるから、適した位置に振っていこう」となることが多いように思える。
明らかにキャパオーバーの業務を割り振られるのは、社会人なら誰しもが経験するところだろう。
そのとき、「なんでオレに振るんだよ。できるわけないじゃないか」と考えるなら、それはちょっと違う。
「この人ならできる」とは思っていなくても、その場の状況下で誰かしらに業務は振らなくてはいけないわけで。
その業務に関しては、その人が都合よかったのだろう。
そして、これが1番大事な問題で、キャパオーバーの仕事を割り振られたとき、どう対処するか、どう考えるか。
・できる限り努力する。結果は後からついてくる。
・死ぬ気でがんばり、何がなんでも終わらせるという気迫を持って取り組む。
・最初から無理だと分かっているので、期限に間に合わないのは覚悟の上。無理はしすぎない。
業務の期限や重要度など、状況によっても変わるし、いくつかの選択肢はあるだろう。
ここでオレが思うのは、自分を無理に追い込んでも、あまりいいことがないのではないかということ。
できる限りの善処をする。
それは大いに結構。
だが、それでも間に合わなかったらどうする?
先にも書いたが、業務の割り振りというのは、その人なら必ずできるという見込みがなくても、誰かしらに振らなくてはいけないこともある。
そんな業務に対し、「あぁ〜終わらなかった。自分はなんてダメなんだ」と落ち込むのはどうなのか。
こういったとき、いい意味での割り切った考えができる人の方が強いと思う。
ダメで元々、やるだけやったんだから、いいじゃないか。
次をまたがんばろう。
もちろん、業務の重要度によっては、そんな悠長なことはいってられない。
しかし、この考え方で取り組める業務もきっとあるはず。
それは、手を抜けって話ではない。
作家の保坂和志さんは小説を書くに当たって、こう語っていた。
「現在書いている小説に全力を注がなかった人は、絶対に成長しない。それどころか小説を作る力が次第に衰え、やがてはそれまで書けていたものすら書けなくなるだろう」
このことは仕事にもいえると思う。
結果に対しては割り切り方が求められても、取り組んでいる最中はベストを尽くさないと、なかなか成長には結びつかない。
常に結果を求め、自分を追い込むのは、必ずしもいいとは思えない。
うつ病になる人だって、こういった責任感の強いタイプが多いと聞くし。
自分が楽に働ける姿勢や考え方を見つけることも、社会で生きていく上で重要な能力ではないだろうか。
……なんて、偉そうに語ってみたが、若造のたわごとです。
まだ自分もできているわけじゃないけど、意識はしたいところ。