もう一度


 いつでも捜しているよ。どっかに君の姿を。
 そんな、山崎まさよしの歌の心境だ。
 この駅のホームに立つと、あの子がいないか、必ずきょろきょろしてしまう。
 本数の少ないこの路線で電車を待つ時間は寂しい。
 ……何がきっかけだったんだろう。いつの間にか、愚痴が多くなっていた。あの子も俺も、機嫌の悪い日が多くなっていた気がする。
 付き合っていた最後の方は、お互いに、会ってもほとんど笑わなかった。おそらく、向こうも別れを予感していたに違いない。
「別れよう」って言葉は、どちらからも出なかった。
 連絡を取らない日が多くなって。次に連絡を取るまでの空白期間がだんだんと長くなって。
 世間では、あのような別れ方を自然消滅というのだろう。
 消滅なんて、嫌な言葉だ。
 王子様に恋をした人魚は、泡になって消えてしまった。
 しかし、あの子の場合は、物理的に消滅したわけではない。
 今もどこかで呼吸している。
 誰かと街を歩いている。
 隣にいる男が誰であってもショックだし、もし見つけても目を背けてしまいそうだけど、やはり、この駅では探してしまう。
 階段を見ていると、降りてくる人に見覚えがあった。もちろん、あの子ではない。
 同じ中学校に通っていた安嶋さんだ。
 黒のピーコートに、細身のジーンズを履いている。意外とスタイルのいい女性であることに、初めて気づいた。
 顔の元の作りは悪くないし、服装に気を配っていることも分かるが、いまいち垢抜けていないところは、今も変わっていない。
「おー、久しぶりだね。覚えてる? 中学で同じだったよね」
 俺の方から話しかけると、安嶋さんも笑顔を返してくれた。
「覚えてるよ。シュウ君だよね。たしか、サッカー部だったっけ?」
「部活は途中で辞めたんだよね」
「それは失礼しました」
「いやいや、気にしないで」
 それだけ話すと、二人の間に沈黙が訪れた。何を話していいのか分からない。
 安嶋さんは俺の方を見たり見なかったりだけど、俺と同じく、話すことがないのかもしれない。
 そんな状態のまま、電車が来た。
 車内は空いていたので、二人で隣合って座れた。それだけに、何も喋らないのは気まずい。
 久方ぶりに会った、それほど親しくない異性。ここは、当たり障りのない話がいいだろうと考えていたら、安嶋さんが口を開いた。
「シュウ君って彼女はいるの?」
 それはまた、いきなり随分な質問だなと驚いた。
「いないよ。安嶋さんは?」
 一瞬だけ間が開いて、返ってきた。
「私はいるよ」
「そうなんだ。よかったじゃん」
 何がいいのか分からないが、そう言っておいた。
 それと、安嶋さんには彼氏がいるということで、俺は何かがっかりしたような気持ちを覚えていた。安嶋さんとどうこうしたいと思ったわけでもないのに。
「彼氏ってどんな人?」
「いい人だよ。私のこと、大切にしてくれるし」
「それは幸せだね」
 幸せ……。俺があの子と付き合っているときに幸せを感じられたのは、いつまでだっただろう。
 また、お互いに黙ってしまった。電車が目的地に着くまで、あと二十分がある。
 暖かい車内で、眠くなってきた。安嶋さんに何を話しかけようなどとは、あまり考えなくなっていた。
 そんな状態がしばらく続き、安嶋さんがぼそっと、独り言のように言った。
「私だって、幸せじゃないよ……」
「えっ?」
 そう言ったきり、安嶋さんはまた口を閉ざしてしまった。
 眠気が飛んだ。
 俺としては気になるところだが、こっちから聞いていいものなのか分からなかった。
 だが、逆に、暗い表情の安嶋さんは、ひょっとしたら何か話したいことがあるのかもしれない。
「何かあったの?」
 ……返事がない。
「まぁ、言いたくなかったら言わなくていいよ」
 やはり、返事もないし、頷きもしない。
 俺はあまりいい気がしなかったので、それ以上は言わなかった。
 眠気はなくなっていたが、目をつむって、眠ったふりをした。
 そのまま電車が流れ、五分ぐらいがたってから、安嶋さんが何か言い始めた。
「……ずっと、我慢してきた……。お母さんが言うことも、お姉ちゃんにも、友達にも、彼氏にも……。私だって、がんばっているのに……」
 眠ったふりを続けた方がいいのか迷っていると、更に言葉が続いた。
「相手の言うことを聞いて、それで褒められて。でも、みんな、本当の私なんて見ちゃいない……」
 まぶたを開けた。安嶋さんの瞳には、涙が溜まっていた。
 なぜ、久しぶりに会った俺の前で……。そんなはずはないが、ひょっとして俺に惚れているのかとか、この状況にふさわしくない考えがよぎった。
「本当はあのときも……あのときも……」
 こんなことを言われても、俺には何のことか見当もつかない。いや、言われているわけではない。安嶋さんはただ口に出しているだけで、俺に話しているわけではなかった。
 それから、安嶋さんは岩になった。視線はずっと下にあり、俺の方はちらりとも見ない。
 俺は何を話していいのか分からず、安嶋さんを見ていた。
 気づけば目的地に着き、二人とも電車を出た。
 外は寒い。安嶋さんの吐く息も白かった。
「寒いね」
 とりあえず、そう言っておいたが、安嶋さんは反応しなかった。
「俺は家まで歩きなんだけど、安嶋さんは?」
「……歩き」
 やっと口を開いてくれたことで、ほっとした。
「家まで送っていこうか?」
「いい。彼と待ち合わせしているから」
「そう」
 まだ目が赤かったので、彼が見たらどう思うのかと気になったが、そこは言わないでおいた。
「じゃあね」
 返事をしない安嶋さんを駅に置いて、一人で帰った。
 歩きながら携帯電話を開いたら、新着メールが一通あった。届いたのは三十分以上前だ。
――寒いから早く帰ってきなさいよ。
 おかんからだった。もうすぐ着くんだけどと、可笑しかった。
 仕方がないから、一応、返しておいた。
――残念ながら遅くなるので。
 多分、家に帰った頃には、おかんがメールを作成しているところだろう。俺が現れ、どんな顔をするか楽しみだ。